国民栄誉賞の歴代受賞者一覧|大物たちの辞退理由と選考の裏事情
日本中を沸かせた国民的スターに贈られる最高峰の栄誉「国民栄誉賞」。1977年に創設されて以来、昭和・平成・令和という激動の時代を彩る偉人たちがその栄誉に浴してきました。しかし、その輝かしい歴史の裏側では、栄誉ある打診をあえて断った孤高の天才たちのドラマや、不透明とされる選考基準を巡る激しい議論が常に渦巻いています。
なぜあの国民的英雄たちは授与を固辞したのか。そして、選ばれた者たちには何が授与され、どのような基準でその名が刻まれてきたのか。2026年現在の視点から、歴代受賞者の歩みと知られざる選考の内幕を徹底検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:国民栄誉賞の歴代受賞者は27個人・1団体。第1号の王貞治氏から最年少記録となる23歳で受賞した羽生結弦氏、パラスポーツ初の国枝慎吾氏まで多岐にわたる。
- 要点2:イチロー氏(3度辞退)や大谷翔平選手、福本豊氏らが辞退を選んだ背景には、「現役としての求道心」や「栄冠の重みへの独特な美学」が存在する。
- 要点3:賞金は「ゼロ円」で副賞の上限は約100万円。歴代政権の支持率回復や選挙対策といった「政治利用」の批判も絶えず付きまとっている。
【完全年表】国民栄誉賞の歴代受賞者一覧|王貞治から羽生結弦・国枝慎吾まで
国民栄誉賞は、これまでに27の個人と1つの団体に対して授与されてきました。創設のきっかけとなったのは、1977年にプロ野球の王貞治氏が達成した通算本塁打世界記録(756本)です。当時の福田赳夫内閣が「国としてこの前人未到の偉業を称えたい」と急遽創設したのが発端でした。以来、スポーツ界のみならず、音楽、映画、演劇、伝統芸能など多分野から選出されています。
歴代の授与を振り返る上で欠かせないのが、受賞時の年齢や社会的な節目です。個人として歴代最年少記録を樹立したのは、2018年に平昌五輪フィギュアスケート男子で66年ぶりの連覇を果たした羽生結弦氏の23歳でした。一方で、2023年には車いすテニスで生涯ゴールデンスラムを達成した国枝慎吾氏が、パラスポーツ選手として史上初の受賞を果たし、賞の新たな地平を切り拓いています。
以下に、創設から現在に至る歴代受賞者の年表を整理しました。
【国民栄誉賞 歴代受賞者年表】
・1977年:王貞治(野球/世界新記録756本塁打達成・歴代第1号)
・1978年:古賀政男(音楽・作曲/国民的流行歌の確立 ※没後受賞)
・1984年:長谷川一夫(演劇・映画/映画界・歌舞伎界への貢献 ※没後受賞)
・1984年:植村直己(登山・探検/五大陸最高峰登頂など極地探検 ※没後受賞)
・1984年:山下泰裕(柔道/前人未到の公式戦203連勝・五輪金メダル)
・1987年:衣笠祥雄(野球/プロ野球連続試合出場2215試合の世界記録)
・1989年:美空ひばり(音楽・歌手/戦後歌謡界の象徴・女性初の受賞 ※没後受賞)
・1989年:千代の富士貢(相撲/通算最多勝・53連勝達成の大横綱)
・1992年:藤山一郎(音楽・歌手/正統な声楽技術による歌謡曲の普及)
・1992年:長谷川町子(漫画/国民的漫画『サザエさん』の連載 ※没後受賞)
・1993年:服部良一(音楽・作曲/数多くの名曲を生み日本ポピュラー音楽を開拓 ※没後受賞)
・1996年:渥美清(演劇・映画/映画『男はつらいよ』寅さん役で愛された名優 ※没後受賞)
・1998年:吉田正(音楽・作曲/都会調歌謡の名曲を多数遺す ※没後受賞)
・1998年:黒澤明(映画/世界的名作を創出し日本文化の精髄を発信 ※没後受賞)
・2000年:高橋尚子(陸上マラソン/シドニー五輪金メダル・女性スポーツ選手初)
・2009年:遠藤実(音楽・作曲/5000曲以上を作曲し昭和歌謡を支えた巨匠 ※没後受賞)
・2009年:森光子(演劇・舞台/舞台『放浪記』2000回達成の大女優)
・2009年:森繁久彌(演劇・映画/映画・舞台を牽引した芸能界の至宝 ※没後受賞)
・2011年:サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)(団体初・W杯優勝)
・2012年:吉田沙保里(レスリング/世界大会13大会連続優勝・五輪3連覇)
・2013年:大鵬幸喜(相撲/幕内最高優勝32回の昭和の大横綱 ※没後受賞)
・2013年:長嶋茂雄(野球/プロ野球の発展と社会への多大な貢献)
・2013年:松井秀喜(野球/日米通算507本塁打・ワールドシリーズMVP)
・2016年:伊調馨(レスリング/五輪女子個人種目史上初の4連覇達成)
・2018年:羽生善治(将棋/前人未到の永世七冠達成)
・2018年:井山裕太(囲碁/七冠独占を2度達成の快挙)
・2018年:羽生結弦(フィギュアスケート/五輪66年ぶり男子連覇・個人最年少23歳)
・2023年:国枝慎吾(車いすテニス/生涯ゴールデンスラム達成・パラスポーツ選手初)
なぜ大物たちは辞退したのか?イチロー・大谷翔平・福本豊らの「真意」
国家最高峰の栄誉でありながら、これまでに複数の一流人物が受章の打診を辞退しています。その理由は決して単なる反骨心ではなく、自らの競技人生や生き様に対する研ぎ澄まされたプライドからくるものでした。
最も有名な事例が、世界の盗塁王と呼ばれた元阪急ブレーブスの福本豊氏(1983年打診)です。当時の歴代世界記録となる通算939盗塁を達成した際、中曽根康弘内閣から授与が打診されましたが、福本氏はこれを固辞。その際に発した「そんなもんもろうたら、立ち小便もでけへんようになる」という言葉は語り草になっています。粗野な言い回しに聞こえますが、本質は「自分のような気楽な男には国家の栄誉は荷が重すぎる」「野球選手としてグラウンドで純粋に評価されれば十分」という、過度な社会的責任を避けるプロフェッショナルとしての見識でした。
また、球界のスーパースターであるイチロー(鈴木一朗)氏は、なんと過去に3度も辞退しています。1度目は2001年(メジャー新人王・MVP獲得時)、2度目は2009年(WBC連覇時)、そして3度目は2019年の現役引退時です。現役時の辞退理由は極めて明快で、「まだプレーヤーとして前進している途上であり、受ける段階ではない」という求道心からでした。引退時にも「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう、これからの人生を励みたい」と伝え、賞の重みを誰よりも理解しているがゆえの慎み深さを示しています。
さらに記憶に新しいのが、ロサンゼルス・ドジャースで前人未到の記録を更新し続ける大谷翔平選手です。2021年にメジャーリーグで満票MVPを受賞した際、当時の岸田文雄内閣から打診を受けましたが、「まだその段階ではない。まだまだ先がある」として即座に辞退しました。現役として高みを目指し続けるアスリートにとって、過去の功績を総括するような賞は、成長へのハングリー精神を削ぎ落としかねないという共通の哲学が垣間見えます。
このほか、1989年には作曲家の古関裕而氏が亡くなった際、遺族が生前の苦労に触れ、「本人が元気なうちにいただければ喜んだだろうが、亡くなってからでは本人も喜ばない」として辞退したケースもあり、授与のタイミングの難しさを浮き彫りにしました。
女性受賞者一覧と没後受賞のドラマ|美空ひばりから伊調馨までの功績
国民栄誉賞の歴史において、女性受賞者の存在と没後受賞の多さは特筆すべき要素です。現在までに女性で受賞したのは以下の6個人・1団体に限られています。
・美空ひばり(1989年・女性初/没後受賞)
・長谷川町子(1992年/没後受賞)
・高橋尚子(2000年/女性スポーツ界初)
・森光子(2009年/舞台俳優)
・サッカー日本女子代表「なでしこジャパン」(2011年/団体初)
・吉田沙保里(2012年/女子レスリング五輪3連覇)
・伊調馨(2016年/女子レスリング五輪4連覇)
女性初の受賞者となった美空ひばり氏のケースは、創設から12年を経てのことでした。ひばり氏の逝去に伴う受賞は、「戦後の日本人に生きる希望を与え続けた歌姫」への国民的追悼ムードと直結していました。その後、2000年のシドニー五輪で高橋尚子氏が金メダルを獲得したことで、女性スポーツ選手への道が一気に開かれ、なでしこジャパンのW杯制覇、吉田沙保里氏・伊調馨氏による前人未到の連覇記録へと受け継がれていきます。
一方で、全受賞者のうち約4割以上にあたる12名が「没後受賞」である点も見逃せません。植村直己氏や黒澤明氏、渥美清氏など、生前は選考議論に乗らなかった人物が、逝去のニュースを機に「その巨星の足跡を再評価する」形で授与されています。国民の哀悼と感謝を形にする手段として機能してきた反面、「生きているうちに顕彰すべきだったのではないか」という議論は、現在も有識者の間で根強く残っています。
賞金は0円?国民栄誉賞の副賞と驚きの選考基準・条件
「国民栄誉賞を受賞したら、多額の賞金や年金が出るのではないか」と思われがちですが、実態は大きく異なります。国民栄誉賞に賞金は一切ありません。文化勲章のように年金支給の対象となることもなく、金銭的なメリットはゼロです。
授与されるのは、内閣総理大臣名の「表彰状」と「盾」、そして「副賞」として贈られる記念品です。この副賞には公費が投じられるため、社会通念上の上限(概ね100万円相当)が定められています。その中身は受賞者の個性や功績に合わせた特注品が多く、過去には以下のようなユニークな品が贈呈されました。
・王貞治氏:鷲をかたどったブロンズ像
・長嶋茂雄氏・松井秀喜氏:漆塗りの黄金バット
・吉田沙保里氏:金色の真珠(ゴールデンパール)のペンダント
・羽生結弦氏:記念品自体を辞退(被災地への配慮から記念品を辞退し、人間国宝・甲田綏恵氏が手掛けた伝統工芸品「仙台平」の袴を着用して授与式に出席)
そして、最も議論を呼ぶのが「選考基準の曖昧さ」です。1977年の総理大臣決定によると、選考基準は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃えること」とだけ定められています。ノーベル賞や五輪メダルのような明確な数値規定はなく、内閣総理大臣の強いリーダーシップ(裁量)によって候補者が選定され、有識者の意見聴取を経て閣議決定される仕組みになっています。
内閣支持率とタイミングの罠|「政治利用」と囁かれる批判の真相
客観的な数値基準が存在せず首相の一存で決定できる構造は、常に「政権浮揚策としての政治利用」という厳しい批判と隣り合わせにあります。
事実、過去の授与タイミングを検証すると、内閣支持率が低迷していた局面や、大型国政選挙が間近に迫ったタイミングで打診される事例が目立ちます。創設者の福田赳夫首相自身、政権の求心力低下に直面していた時期に王貞治氏へ授与しました。また、2013年に長嶋茂雄氏と松井秀喜氏へ同時に授与された際には、東京ドームで安倍晋三首相が自ら背番号96のユニフォームを着て始球式に登板し、野党や一部メディアから「夏の参院選を見据えたあからさまな人気取りではないか」と激しい批判を浴びました。
ネット社会となった現在では、首相官邸が誰かに打診を検討しているというニュースが流れるだけで、「支持率稼ぎの道具にするな」「アスリートや文化人を政権の盾に使うべきではない」といった声が即座にSNS上で拡散される傾向が強まっています。だからこそ、イチロー氏や大谷翔平選手のように「自らの競技への集中」を理由に辞退したスターたちの選択が、世論から「清々しい」「賢明な判断」と高く評価される土壌にもなっているのです。
【国民栄誉賞の歴代受賞者】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:国民栄誉賞を受賞した歴代最年少記録と最年長記録は誰ですか?
A1:歴代最年少記録は、2018年に23歳で受賞したフィギュアスケート男子の羽生結弦氏です。一方、存命中の受賞者として最高齢だったのは、2009年に89歳で受賞した女優の森光子氏です(没後受賞を含めると、2009年に96歳で亡くなった森繁久彌氏が最高齢となります)。
Q2:国民栄誉賞を受賞すると、生涯年金や特別な待遇はありますか?
A2:生涯年金や特別な金銭的待遇は一切ありません。文化勲章の受章者に贈られる「文化功労者年金(年額350万円)」のような法的給付制度はなく、授与されるのは表彰状、盾、そして上限100万円相当の副賞(記念品)のみです。
Q3:大谷翔平選手やイチロー氏が将来受賞する可能性はありますか?
A3:十分にあります。両名とも賞の存在そのものを否定したわけではなく、「現役の途上であること」を辞退の主因としています。イチロー氏は引退時に「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう励みたい」とコメントしており、大谷翔平選手も現役生活を一区切りさせた将来や、歴史的なキャリアを完遂したタイミングでの再打診・受章の可能性は極めて高いと考えられています。
まとめ:国民栄誉賞が映し出す時代の肖像と今後の行方
国民栄誉賞の歴代譜を紐解くことは、そのまま昭和・平成・令和の日本人が「何を心の拠り所とし、どんな偉業に熱狂してきたか」という時代の肖像を振り返ることに他なりません。第1号の王貞治氏が放った一本のアーチから始まったこの顕彰制度は、半世紀近くを経て、パラスポーツや世界を舞台に闘うアスリートたちを包摂するまでに広がりました。
しかし同時に、大物たちによる潔い辞退劇や政治利用への警戒感は、賞の権威が国家の側ではなく、「卓越した挑戦を続ける個人の生き様」にこそ宿っていることを雄弁に物語っています。2026年以降、次にこの栄冠を手にし、あるいは誇り高く辞退するのは誰なのか。国民栄誉賞の行方は、これからも時代と国民の心を映し出す鏡であり続けます。 (出典: 国民 栄誉 賞 歴代(Yahoo!ニュース))