EXIT兼近の元相方・逢見亮太の現在と「ぷりずん。」解散の衝撃真相
いまやテレビ番組や各種メディア、ライブシーンに欠かせないトップスターとして確固たる地位を築いたEXITの兼近大樹。ピンク髪と明るいキャラクターで親しまれる彼ですが、ブレイク前に吉本興業の劇場で熱狂的な支持を集めていたコンビをご存じでしょうか。その名も「ぷりずん。」。ルックスと実力を兼ね備えた若手注目株として、東京の劇場シーンを大きく沸かせていた伝説のお笑いコンビです。
突如として訪れた活動休止と電撃解散の発表から時が流れ、現在の兼近大樹の目覚ましい躍進を見るにつけ、「当時の元相方は今何をしているのか」「なぜあのタイミングで袂を分かつことになったのか」という疑問を持つファンが後を絶ちません。今回は、お笑いコンビ・ぷりずん。の誕生秘話から解散に至った真相、そして元相方である逢見亮太の現在の活動と2人の関係性に至るまで、公開情報と当時の取材記録をもとに徹底深掘りします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:ぷりずん。はNSC東京19期生同士で結成され、端正なビジュアルとテンポの良い漫才で圧倒的な劇場人気を誇っていた。
- 要点2:解散の決定打は逢見亮太の不祥事・活動休止であり、ピン芸人「かねち」としての孤軍奮闘を経て現在のEXIT結成へとつながった。
- 要点3:元相方の逢見亮太は吉本興業を離れた後、舞台俳優やパーソナルトレーナーなど独自の道を切り拓き、現在も多方面で活動を継続している。
【結成秘話】お笑いコンビ「ぷりずん。」の経歴とNSC時代の評判
お笑いコンビ・ぷりずん。は、2013年に吉本興業の養成所であるNSC東京校19期生として出会った兼近大樹と逢見亮太によって結成されました。北海道から上京し、右も左も分からない状態だった兼近に対し、当時から整った容姿と爽やかな立ち振る舞いで養成所内でも一目置かれていたのが逢見でした。兼近の並外れたキャラクターと身体能力の高さを見抜いた逢見が声をかける形でコンビがスタートした経緯があります。
デビュー直後から、若手芸人の登竜門であった神保町花月やヨシモト∞ホールを中心に頭角を現します。当時のぷりずん。のネタの評判は極めて高く、テンポの良い正統派しゃべくり漫才から、兼近の突き抜けた明るいボケに逢見が鋭くツッコミを入れるスタイルまで幅広くこなしていました。何より「モデル並みのイケメンコンビ」という唯一無二の武器を持ち合わせていたため、客席には若い女性ファンが殺到し、単独ライブのチケットが即完売するほどの熱気に包まれていたのです。
吉本興業の若手育成システムにおいても、次世代を担うホープとして期待値はトップクラスでした。テレビ番組の前説や深夜番組のショートネタコーナーなどへの露出も着実に増えており、同期の芸人仲間からも「ぷりずん。が一番最初に売れるだろう」と目されていたほどでした。
【電撃解散の真相】なぜ人気絶頂で幕を下ろしたのか?活動休止の裏側
順風満帆に見えたぷりずん。の歩みは、2017年5月、突如として暗転します。公式から逢見亮太の「無期限活動休止」が突如発表され、予定されていた劇場の出番や主催ライブが次々とキャンセルされる事態となりました。当初は体調不良や諸事情と説明されていましたが、その背景には逢見側の女性トラブルに起因する謹慎処分があったことが、後の兼近自身の告白や各種報道によって明らかになっています。
相方の活動休止により、兼近は突然コンビ活動の道を断たれることになりました。当時の兼近は相方の復帰を信じ、ピン芸人「かねち」名義で泥臭く舞台に立ち続けました。小道具を自作し、1人で舞台を埋めながら「ぷりずん。を守り続ける」という強い意志を持って劇場のマイクを握り続けた日々は、ファンの間でも語り草となっています。
しかし、謹慎期間が長引く中で2人の目指す方向性やお笑いに対するスタンスのズレが決定的となり、最終的に2017年11月をもって正式に解散が発表されました。人気・知名度ともに右肩上がりだった時期の解散劇は、劇場シーンに大きな衝撃を与えました。後に兼近は自伝的著書やメディアインタビューで、「当時は絶望したし、相方を恨んだこともあった。でもあの出来事があったからこそ、自分のお笑いへの覚悟が決まった」と述懐しています。
ピン芸人「かねち」からEXIT誕生へ|りんたろー。との奇跡の結成経緯
ぷりずん。解散後の兼近大樹は、まさに崖っぷちの状況に立たされていました。お笑いを諦めて北海道に帰ることすら頭をよぎる中、運命の出会いが訪れます。同じくコンビ「ベイビーギャング」を解散し、ピン芸人としてくすぶっていた先輩芸人・りんたろー。の存在です。
M-1グランプリに出場するための即席ユニット「SCANDAL」を結成した2人は、互いの持ち味である「チャラ男」要素を極限まで戯画化した漫才を披露。これが劇場関係者やお笑いファンの間で驚異的な大ウケを記録します。互いの相性の良さと漫才の爆発力を確信したりんたろー。が兼近を熱烈に口説き落とし、2017年12月に正式コンビ「EXIT」が誕生しました。
「ネオ渋谷系漫才」という新ジャンルを確立したEXITは、結成からわずか1年足らずで爆発的なブレイクを果たします。ぷりずん。時代に培った舞台度胸と、挫折を味わったことで生まれたハングリー精神が、EXITとしての兼近の底知れぬ魅力へと結実した瞬間でした。
【2026年最新】元相方・逢見亮太の現在の活動と驚きの転身先
一方、ぷりずん。解散後の逢見亮太はどのような道を歩んでいるのでしょうか。解散後しばらく芸能界から身を引いていた逢見ですが、その後は吉本興業を離れ、フリーランスの表現者としてリスタートを切りました。
持ち前の端正なルックスと表現力を活かし、小劇場の舞台俳優としての出演を重ねたほか、近年ではパーソナルトレーナーとしての資格を取得し、ボディメイクや美容・健康分野のインフルエンサーとしても活動。さらに、メンズアイドルのプロデュースやイベントオーガナイザーなど、裏方と表舞台の双方で自らのスキルを発揮しています。
SNS上では、現在も引き締まった肉体やトレンドを押さえたファッションを披露しており、ぷりずん。時代からのコアなファンを中心に根強い支持を獲得しています。お笑いの第一線からは退いたものの、エンターテインメントやセルフプロデュースの現場で自立したキャリアを築いている姿は、一人の表現者として確かな足跡を残しています。
解散後の二人の関係性は?兼近大樹が語る元相方へのリスペクト
電撃的な破局を迎えたコンビの多くは絶縁状態に陥りがちですが、兼近と逢見の関係性は決して憎しみだけで終わったわけではありません。兼近はブレイク後に出演したバラエティ番組でも、ぷりずん。時代のエピソードをタブー視することなく、笑いを交えたエピソードトークとして披露しています。
「あいつが誘ってくれたから自分は芸人を始められた」「あいつの顔がカッコよかったから客席が埋まっていた」と、兼近は逢見に対する感謝と敬意を度々口にしています。一方の逢見も、メディアで大活躍するEXITの姿を温かく見守っており、かつて苦楽を共にした相方の成功を陰ながら祝福していることが関係者の証言からも伺えます。
若気の至りや予期せぬトラブルで道は分かれたものの、それぞれが別のフィールドで己の道を極めようとする姿勢こそが、現在の良好な距離感を保つ土台となっています。
【ぷりずん(芸人)】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ぷりずん。の解散理由は具体的に何だったのですか?
A1:逢見亮太の女性トラブルに伴う無期限謹慎処分が直接のきっかけです。兼近がピンで活動を続けながら復帰を待ったものの、長引く活動休止期間の中で将来の方向性にズレが生じ、2017年11月に双方合意のもとで解散に至りました。
Q2:ぷりずん。時代とEXITになってからの兼近のキャラはどう違いますか?
A2:ぷりずん。時代は比較的王道の爽やかイケメン漫才師として活動しており、ボケの切れ味と素朴な明るさが際立っていました。EXIT結成後は、相方のりんたろー。と共に「ネオ渋谷系チャラ男」という強烈なパブリックイメージを確立し、よりエンタメ性に特化したスタイルへと進化しました。
Q3:逢見亮太は現在お笑い芸人に戻る予定はありますか?
A3:現在はお笑い芸人としての劇場復帰は予定しておらず、舞台俳優やパーソナルトレーナー、インフルエンサーとしての活動を主軸に置いています。自身の得意分野を活かした独自のキャリアを邁進しています。
まとめ:それぞれの道を切り拓く二人の挑戦と今後の展望
お笑いコンビ・ぷりずん。の軌跡は、わずか4年あまりの短いものでした。しかし、そこで放たれた輝きと突然の挫折は、間違いなく現在の兼近大樹という希代のスターを生み出すための決定的な分岐点でした。
テレビやお笑い界のトップランナーとして走り続ける兼近大樹と、舞台やフィットネスの世界で新たなファン層を獲得している逢見亮太。結成と解散という激動のドラマを経て、2人はそれぞれの選んだフィールドで今なお輝きを放ち続けています。過去の苦い失敗をも糧に変えて前進する彼らの生き様は、これからも多くの人々に勇気を与え続けるはずです。 (出典: ぷり ずん 芸人(Yahoo!ニュース))